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統合失調症を照らす 第2回目

●わかりやすさのわりに説明は難しい病気
 今回は、統合失調症とはどういう病気であるかを具体的に説明してゆきます。しかし、ぱっと見た目に非常にわかりやすい病気であるにもかかわらず、統合失調症とはこういう病気ですよと一言でいうのは、意外に難しい病気です。
 一見して服装、身なりが奇異で、独り言などいったり、わけのわからないこと急に言ってきたり、自分の殻に閉じこもってしまったり、非常にわかりやすい病気です。典型的な場合は、街ですれちがっただけでわかります。べつに、私だけが精神科医になって修練積んだからわかるのではなく、子どものころからわかりました。私だけではなく、ほとんどの人が、この病気の人をみると「何かが変、おかしい」と感じると思います。

●クレペリンの早発性痴呆という考え
 ところが、この病気を言い表そうと、多くの学者が、いろんな言い方をしました。たとえば、この病気を最初に報告したドイツのクレペリンという人は、「思春期に発病し、多かれ少なかれ人格の荒廃にいたる」精神疾患と位置づけました。しかし、今日では、かならずしも、人格の荒廃にいたらないことがありますし、むしろ、治療法の発達で社会復帰できる患者さんがかなりの割合を占めます。また、女性ではむしろ、中年期の発症も多いということがわかっています。

●ブロイラーのSchizophrenieという考え
 その後スイスのブロイラーという人が、この病気の現代でも使われている「Schizo(引き裂かれた)phrenie(こころ)」という命名をしました。現代訳では統合失調症と訳します。そのブロイラーは統合失調症の基本症状を
「連合弛緩(考えのまとまりがなくなり、つぎからつぎへと関連のないことが頭に思い浮かび、ついには支離滅裂になること)、
感情鈍麻(その場にふさわしい深みのある感情の表現の失われること)、
自閉(自分自身のからに閉じこもり、現実との関係を失うこと)、
両価性(相対立した感情の動きを体験すること)」
という四つの症状であるといいましたが、これには、幻覚や妄想は含まれず、また、両価性など認められる患者さんはあまりいません。また、軽症や、初期の患者さんにはこれらの症状が認められません。

●シュナイダーの一級症状
 この後ドイツのシュナイダーという人は、躁うつ病との症状比較から、統合失調症の一級症状という症状を観察しました。それは「思考化声(考えていることが声になって聞こえてくること)、対話性幻聴(複数の人が会話している声が聞こえること)、自分の行為を批判する幻聴、身体的影響体験(体の中でなにかが動く、電波や光線に体が痛めつけられるなどの体験)、思考奪取(考えが抜き取られるという体験)、思考吹入(考えが外から吹き込まれるという体験)、思考伝播(自分の考えていることが周囲の人に知られているという体験)、妄想知覚(人が咳をしたのは、自分のことを嫌っているからだなどというように、知覚したことに、特別の意味づけをすること)、作為体験(思考、感情、意欲の面で自分の体験があたかも他者からさせられたように感じる体験)」などです。この考えの多くは、自分の意識があたかも自分のものではないという感じを表しています。この考え方は、現在でも統合失調症の理解に重要な概念ですが、いかんせん統合失調症のすべてをこれだけで語りつくせませんし、このような症状の出ない患者さんもたくさんいます。

●現在の診断基準
 では、わたしたち精神科医が現在どのような基準に基づいて統合失調症の診断をするのかといえば、やはり、米国精神医学会の診断基準に基づいています。これは、

1.幻覚(ありもしない人やものの音や声が聞こえたり、見えたりすること)
2.妄想(現実についての誤った確信で、そのひと一人にしか通用せず、現実でいくら証拠立てて訂正しようとしても不可能なもの)
3.まとまりのない会話(頻繁に脱線したり、滅裂な内容になる)
4.ひどくまとまりのない行動、あるいはわけもないのに暴れたり、意識はあるのに無反応になったりすること。
5.陰性症状、すなわち感情の平板化、思考の貧困、意欲の欠如。などのうち二つ以上が6ヶ月以上つづく場合です。

●直感的診断の功罪
 やたら専門用語が多いし、ひとことでこうだという的を射た解説が無いと読者の方は思われるかもしれません。しかし、統合失調症は、直感的にわかりやすい病気です。センスのある方には、本を読むよりそういうひとに出会っただけで、診断できます。リュムケという医師は統合失調症の人特有の、自然な会話の流れの無さ、気持ちの通じ合いにくさ、奇妙な印象をプレコックス感となづけました。じつは、このような感覚は今でも診断の際重要視されますが、やはりそれを感じるか、感じないかが医師によってばらつきます。
このような「直感的診断」には弊害もあります。また、医師が行なう診断というのはそれなりに重みがありますし、責任もありますから、統合失調症のようないろいろな意味でデリケートな疾患については、やはりなるべく客観的診断基準をもうけたほうがよいという趣旨から、ややこしい説明になってしまいました。

●もっとも現代的な考え方
 現在では、統合失調症の症状といえば、陽性症状、陰性症状、認知障害の三つであると要約されています。陽性症状とは幻覚、妄想などです。陰性症状は感情の平板化など先述したようなものです。陽性症状は急性期に特徴的で薬物療法が有効です。陰性症状は慢性期やゆっくりとした発症の人に特徴的で、最近まで、あまりよく効く薬がありませんでした。今は、薬物療法もある程度有効で、この症状にはリハビリテーションが必要です。認知障害ということが最近は強調されるようになりました。思考障害もいまはここに含めるのですが、それ以外に特徴的なのは、情報処理能力の低下、言葉を自発的に話す能力の低下、学習能力の低下、注意集中の困難などです。以前の教科書を見ると、統合失調症では、知的能力は保たれると書いてありましたが、認知障害のため、現在では、知的水準も低下するという考えが主流です。しかし、これも、治療法の発展により、改善できるようになってきました。

●統合失調症は治る
 私が精神科医になったころは、統合失調症は治りにくい病気であり、患者さんや家族の方に病名を尋ねられても、「まあ、疲れすぎですよ」などといってお茶をにごしていましたが、現在ではなるべく正確な病名を告げ、治療するよう勧めます。それだけ、治療法の発達で、統合失調症も治る病気になってきたのです。
 みなさんの周りに、この病気の方がいたなら、まよわず精神科受診を勧めて下さい。また、よくある要望がカウンセリングで治したいというものですが、この病気は、もっともカウンセリングの適応にならないもののひとつです。さらに、注意点ですが、患者さんにこういう症状はないかと、無理に問いただせば、患者さんの不安を高め、不穏状態や興奮状態にしてしまうことがあるので、とにかくまず、専門家に相談して下さい。

症例Aさん
 Aさんは「気分が落ち込む。イライラする。」という訴えで、複数の医療機関に数年前から通っていました。しかし、いっこうに良くならず、数日前に学校で友達に言われたことがショックで、イライラしてしまい、その友達と喧嘩してしまったとのことで私のもとへ来ました。
 たしかに、気分の落ち込みもありますし、うつ病の評価尺度(心理テスト)でも、かなり高い点数です。ところが、「周りの人が、自分の悪口、噂を、陰でこそこそしている。」とか、「他人に見られると、何か、自分がおかしいといわれているのではないかと思う。」「以前の些細なことが、次から次へと頭に浮かぶ。」「注意が集中できず、いろいろなことが頭に浮かぶ。」などのことがあるといいます。
 友達との喧嘩も、何気ない友達の話が「自分を責めているように聞こえた。」からだそうです。このような状態は、軽度の被害・関係妄想、妄想知覚、連合弛緩という状態であり、統合失調症の初期に特徴的です。さらにこのような状態から、他人を避けるようになれば、「自閉」となり、いわゆる「ひきこもり」「不登校」という状態になります。
 Aさんには、それまで投与されていた抗うつ薬ではなく、抗精神病薬を投与したところ、症状はすみやかに消え、また学校に行けるようになりました。

●ポイント
心療内科、精神科でいちばん見逃されやすいのは、このようなタイプです。患者さんの話を十分に聞かず、「落ち込んでいます。」と言ったら、うつ病です、抗うつ薬を飲みなさいとか、「眠れません。」と言ったら、不眠症です、睡眠薬を飲みなさいという医者がほとんどなのです。
患者さんの症状を診断するには、根底にある病理を解き明かさねばなりません。そのためには、30分から1時間が必要です。でなければ、患者さんは自分のこころのいちばんデリケートな部分は話せません。
もちろん毎回そんな時間はとれません。しかし、診断というその後の治療方針や、患者さんの病気に対する認識を作るのに大事なステップである初診のときには、時間を十分さいてくれ、自分のこころのカギを開ける医者を探してください。
皆さんのこころの鎧が取れなければ、結局、こころの傷の手当てはできないのですから。鎧の上にいくら薬を塗っても、傷は治らないのですから。

(本文は、養徳社刊「陽気」に平成17年1月から平成18年12月まで連載された「こころの窓」に加筆、修正をしたものである。)

2014-08-11 17:21:38

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統合失調症を照らす 第1回目

●名症変更と差別

 統合失調症は、2002年まで、精神分裂病と呼ばれてきた疾患です。しかし、あたかも人間性そのものまでもが分裂、解体してしまっているような印象を聞く人に与えるため、いろいろな立場の人がこの名称の変更を問題提起してきました。特に、患者会、家族会の皆さんの名称変更に対する要望から、精神科の学会として、日本で一番大規模で包括的な日本精神神経学会が、苦労を重ねて統合失調症という呼び方に変えるよう決議しました。ですから、厚生労働省が決めたというような性質の名称変更ではありません。また、これは日本だけの名称変更で、欧米圏で名づけられたschizophreniaという原語のほうが変わったわけでもありません。この変更の是非については、かなり論議がありましたが、いまでは、ほとんどの医療機関や行政機関でひろくこの名称が使われ、その使用が推奨されています。

 このような、議論を巻き起こしたのは、まぎれもなく、精神病者に対する差別や偏見の歴史があり、現在もそれが続いているからです。そもそも、精神科や精神病に対する偏見は、この病気に関する理解の不十分さから出てきます。差別を含めて、いろいろな意味で、精神病を代表する疾患であり、精神科医の使命はこの病気の本体解明と治療にあるといっても過言ではありません。

 まず、世間一般からの差別です。「精神病の人は、何をするかわからないし、危険だから怖い。」などという誤解があります。たしかに、病気の急性期には、幻覚、妄想に支配され、意味不明のことをいったり、暴れたりする患者さんもいないことはありません。私自身、学生のとき、ある精神科病棟に見学に一週間ほど行きました。精神科に進もうと思っていましたのでかなり勉強はしていて、自分なりに教科書から得た知識で、それこそ「統合失調症の人は了解不能で、自閉的」などと思い込んでいました。ところが、研修初日、病棟に入り一番驚いたのは、私が行くと患者さんがなだれのように押しかけてきて、「先生名前は?」「どこからきたの?」「ずっといてくれるの?」「結婚してるの?」などなどつぎからつぎへと入れ替わり立ち代りの質問攻めに会いました。しまいには「先生、わたしなあ…」と自分の人生相談までされました。教科書の記述とはおよそかけ離れており、なんてこの人たちは純粋で、無垢で、ひとなつっこいのだろうと感じ、それまでの精神病者に対するイメージがコペルニクス的転換をとげました。ただ、やはり、部屋に閉じこもり、一日中独り言を言い、自分の世界に閉じこもっていたり、話しかけてみてもまったく支離滅裂で何を言っているかさえわからない人もごく少数いました。もちろん、大多数は統合失調症の患者さんでした。しかし、教科書に書いてあるような「典型的な」患者さんを探すのには苦労しました。

 世間の差別偏見は、だいたい噂が形成するのですが、それに大きく関与しているのが、今日では、マスコミの報道姿勢です。なにか、凶悪な犯罪があると、その犯人は精神病院に通院歴があったとか、動機についてあいまいな供述をしているので精神鑑定をする方針だなどという報道です。しかも、念のいったことに有識者の見解などまで載せられます。精神障害者の犯罪率は、健常者の犯罪率より一けた違うほど少ないのです。なのに、精神障害者はいかにも危険だといわんばかりの、現在の報道姿勢はいかがなものでしょうか。

 第二に、家族からの差別です。家族がなんらかの病気にかかれば、だれしも心配し、たとえ現在の医学でも治しようのない病気であるにしろ、一生懸命その人の介護に尽くすのではないでしょうか。少なくとも、病気だからといって、介護が面倒くさい、もう会いたくない、一生病院に置いて欲しいとは思わないのではないでしょうか。ところが、統合失調症の場合、そんなひどいことが起こるのです。私の勤務していた病棟でも、数名の患者さんが、入院歴が10年を越えていました。精神症状はもうまったく落ち着いていて、退院してもいっこうにかまわないのにです。理由は、退院してもいいですといっても家族が引き取りを拒むのです。「あんな大変な人に帰ってきてもらったら困る。」「これから嫁に出さなければならない娘がいるのに、親戚にこんな人がいると思われたら困る。」などと言われます。ひどい場合には、何年も面会にすらきません。こういう入院患者さんたちを社会的入院といい、全国の精神病院入院患者42万人のうち、7万2千人が社会的入院患者であると推定されています。

 第三に医療従事者からの差別です。統合失調症の患者さんでも、身体疾患になり、入院が必要になることが当然あります。ところが、統合失調症で通院や入院歴があるとわかると、「術後暴れるかもしれないから」とか「他の患者さんが気味悪がるので」などの理由で体よく入院を断られることが今もあります。治療法の進歩で、これから育ってゆく医師たちからは、このような理不尽な差別意識が薄らいでゆくものと期待しています。

 第四が、一番問題なのですが、患者さん自身の中にある差別意識です。統合失調症の方は、自分が統合失調症であることをなかなか認めようとしません。これを、精神医学はいままで「統合失調症患者は病識がない」という言い方で片付けてきました。しかし、なぜ病識がないのかまともに論じた論文はありません。もちろん、幻覚や妄想とかがあり、現実と空想の境界があいまいになる病気ですから、しかたがない部分はあるのですが、私は、病識のなさは、部分的には患者さん自身の統合失調症に対する差別意識から出てきていると思います。病院で医療を受けている患者さんでも、「私はうつ病で治療してもらっている」とか「ちょっとノイローゼなだけ」とかいわれます。正しい病名を伝えると「私を**扱いするつもり!」と差別用語を使って反論されます。しかし、きちんと治療し、精神的に疾病を受け入れることが段階になったところできちんと説明すれば、外来患者の90%、入院患者の55%がそれなりに自分の病気について理解できるということが、最近の調査でわかりました。いちがいに統合失調症の患者さんは病識がないわけではないのです。きちんと治療し、説明すれば、かなりの患者さんが病気を受け入れ、なお精神病だからといって自己評価が落ちることもなくなります。

 かつて、「反精神医学」というのが叫ばれ、医者が患者に精神病というレッテルを貼って病気を作っているんだとか、近代産業社会からの疎外が精神病を作り出すのだという批判がなされたことがありました。差別と戦うという意味においては一定の意味がある運動でしたが、すべてをそのせいにし、生物学的基盤など無視したため、精神医学の発達はその時期遅れ、今もその負の遺産は受け継がれています。正確な疾病理解が広がることこそ差別の基本的解決に結びつくと思います。


●一口メモ
 クリニックを開くとき、同僚の医師たちから、「クリニックなんて、うつか適応障害ぐらいしか来ないよ。」と異口同音に言われました。しかし、実際蓋を開けてみると、なんと統合失調症の患者さんが多いのです。よくよく聞けば他のクリニックでは、患者さんの言うことを10分ぐらいしか聞かないで、さらに医師からの質問もなく「落ち込む。」といえば「うつだから、抗うつ薬を飲みなさい。」と言われるそうです。当然のことながら、当院ではカウンセラーの病歴聴取の後で、30分以上かけて信頼感を形成しながら、きちんとした患者さんの本当の悩みを聞きだします。その結果、統合失調症である人を見出す割合が高くなっていると思われます。

 しかし、正確な診断にたどりついても、患者さんに告知すると半分ぐらいの人が来なくなってしまいます。やはり、現実と向き合うのは、勇気のいることでしょう。そこらへんも含めて、きちんと説明し、「今は早期に発見できたのですから、すぐに治療すれば治りますよ。」という言葉を信じて治療を続けてくれた方は、きちんと社会復帰にいたります。
 結局、差別での一番の問題は、患者さん自身の中に潜む、精神病差別なのです。

(本文は、養徳社刊「陽気」に平成17年1月から平成18年12月まで連載された「こころの窓」に加筆、修正をしたものである。)

2014-08-11 17:12:51

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第四回目 うつ病を照らす -うつ病とどうかかわるか-

今回はうつ病の患者さんにどうかかわるか、医学的なことも含めながら、まわりの人たちがどうかかわったらよいかについて述べます。

表1.患者さんへの説明のしかた

■十分な休養が必要です。
■病気であることを理解しましょう。
■治る病気であり、社会復帰もできることを理解しましょう。
■自殺など、自己破壊的な行為を行ってはいけません。
■うつ病がよくなるまでは、大きな決断をすることは避けましょう。
 うつ病の患者さんとのかかわり方で一番大切なことは、表1.に示したとおりです。この表は、やや治療者的観点で書いてあります。家族などへのかかわりかたについては後述します。

●休養
 一番大切なことは、「休養」です。ここに、よくいわれる「励まさない」「気晴らしを考えさせない」ということも含まれます。私はこのことの重要性を、よく充電池にたとえます。「あなたはこころの充電池が切れている状態ですから、何もしないで、何も考えないで休養してください。気晴らしなんて考えると、充電しながら放電もしてゆくので、気晴らしなんて考えないでください。」と説明します。よく、有名人が、休養期間をとることを「充電期間をとる」と表現しますので、案外これは受け入れてもらいやすい言い方です。
精神科医はうつ病の患者さんがいらしたら、すぐに休養をとらせるための診断書を書くものです。薬と並んで治療の両輪です。
しかし、ある患者さんは、それでも、会社をこんなにやすめることはめったにないのだから、外国旅行をしてきますといいました。これは、非常に危険なことです。私は、2年間パリで生活したことがありますが、あちらで日本人の精神保健相談に応じている先生と親しくしていました。その先生はうつ病だけとは限りませんが、死に場所を求めて、パリに来る日本人のいかに多いかを話してくれ、そのことを書いた本も出されました。自分の家に居てさえ、つらく、苦しい人が、言葉も文化も違う場所に行くのは非常に危険です。国内旅行でも基本的には同じことです。また、ある患者さんの家族は、「うちの**はうつ病で休みなさいと先生に言われて以来、ずっと寝たままです。かえって、会社に行っていたころのほうがよかったように思います。かえって悪くなったのではないでしょうか。」と尋ねられました。しかし、睡眠こそが、究極の「休養」なのです。自然が与えてくれた、一番安全な薬です。たとえ、本当に眠らないにしても、うつ病の急性期は一日中閉じこもり、ごろごろしているのが一番です。

●病気であることの理解-直すから治すへ
 これは、会社でも、能率があがらず、自分はだめな人間で、家でごろごろばかりしているのは、「なまけ」であるという、患者さん(そしてその家族にもありがちな)の認知の誤りです。うつ病は決して怠けではなく、れっきとした病気です。このことを十分に理解しないと、ちゃんと病院に来て治療を受けようという気になりません。表の次の項目は、このことです。怠けなら、治すという問題ではなく、直すという問題ですから病院に来ません。病気ならば治すことが出来るのです。とくに、うつ病は抗うつ薬という薬があり、かなり有効です。最近はSSRIやSNRIという新型の抗うつ薬ができたおかげで、副作用がほとんどなく治療できるようになってきました。医学も進歩しています。最初の抗うつ薬イミプラミンが開発されたのが、1958年のことでした。しかし、この系統の薬は、眠気や口の渇き、便秘などの副作用を伴うので、患者さんからは、「先生の出した薬飲んだら元気が出るどころか、前より眠くなった。」とよくお小言を頂戴しました。それでも、なんとか「辛抱強い」患者さんは、薬をのんでくれ、治っていたのですが、先に述べたような副作用のために薬を飲むのを嫌がり、二度と病院に来なくなる患者さんも多かったのです。SSRIやSNRIは従来の薬より効果が高いわけではありません。しかし、副作用の少なさから、きちんと医師の指示通り服薬してくれる患者さんが増えたせいでしょうか、治療成績は一昔に比べ格段によくなりました。ほぼ、90%ぐらいの患者さんが、社会復帰できています。
では、残りの10%の人はというと、難治性といわれますが、最近では、修正型電気痙攣療法というのもとりいれられ、効果をあげています。難点は、効果が長続きしないところで、いったんは回復しますが、また、再発を繰り返すという人もなかにはいることも事実です。
しかし、21世紀になってからでてきた、新型抗うつ薬のおかげで、患者さんの生活しやすさは非常に改善ざれているのです。

●自殺の回避
 うつ病は、それ自体では死ぬことのない病気です。しかし、重症であればあるほど、うつ病の患者さんは自殺を考えます。「自分は能力がない。怠け者だ。」という非常に強い自責感にかられます。そういう患者さんに絶対に「それは怠けだ、もっと頑張れ」などと言ってはいけません。あるいは、さまざまな方法で今までのことを「反省」させるのもいけません。そういうことをすると患者さんの希死年慮(死にたくなる気持ち)を強化するだけです。
 こういう患者さんには、「あなたは治る病気なのだから、まず病院へいってみなさい。無理は禁物です。」と言ってあげるのが、一番正しい接し方です。しかし、中には、妄想とよべるほど、自分が取るに足らない、卑怯者、怠け者で、とても生きている資格などないと思いつめている方もおられます。このような方は、本当に自殺を決行しますので、本人が病院にいってもしかたがないなどというようなら、無理やりにでも病院につれてきたほうがよいでしょう。ある統計によるとうつ病の自殺率は10%となっています。

●決断の回避
 うえに述べたような状態から、死ぬにまでいたらなくても、会社に辞表を出そうとしたり、婚約を破棄しようとしたりする人がいます。うつ病のとき、大きな決断をしてはいけないといわれています。このことについて、はっきりと理由を説明したものを読んだことがありません。理由は次の三つでしょう。
第一に、うつ病で自己評価が落ちているときに正確な決断が下せないこと。
第二に、えてして、このようなときに下した決断は、うつ病が治ったあとで取り返しのつかないことで、後悔することになるから。
第三が重要なのですが、ものごとの判断をするというのは、非常に精神的エネルギーを要することなのです。これを、休養が必要な患者さんにさせるのは、また、いっそうの抑うつ状態を引き出すことになります。

以上の理由から、「なるべく現状維持で行きなさい」というアドバイスが、非常に重要になるわけです。

表2.家族やお世話をする方が患者さんをバックアップするための6つのポイント
1.あまり態度を変えずに、今までどおり自然に接しましょう。
2.安易な励ましは逆効果になるときもあります。温かく見守りましょう。
3.考えや決断を求めることはやめましょう。
4.外出や運動を無理に勧めず、ゆっくり休ませてあげましょう。
5.重要な決定は先のばしにさせましょう。
6.家事などの日常生活上の負担を減らしてあげましょう。
 患者さんの家族やお世話をされているかたから、いったい患者さんとはどういうふうに接したらよいのでしょうとの相談を必ずうけます。
なにも、特別な治療的態度などありません。表2.のように自然に受け止めてあげてください。

●一口メモ
適応障害あるいは新型うつ病と従来のうつ病
最近、非定型うつ病とか新型うつ病という言葉が、精神科医の中でも流行りだし、こういうタイプの人に治療は不要だという極論まで述べる人さえいます。新型うつ病とは定義すらはっきりしないはやり言葉ですが、あえてその定義らしきもの(言っている人により違うので)をいうなら、1.好きなことならできる(むしろ活動的に)2.他責的(うつ病は普通なんでも自分が悪いと自責的になることの逆)3.過食、過眠傾向といったところです。
何のことはない、今まで適応障害と診断してきた病気そのもののことです。適応障害とうつ病の違いは、「きっかけとなるストレス因がはっきりとしていてしかも了解可能なもの」である場合には適応障害です。逆にそれがはっきりしないで、生活全般においてやる気を失うのが従来型うつ病です。もちろん、両者とも治療は必要かつ有効です。ただ、適応障害のほうは、ストレス因を取り除けるようにカウンセリングが必要な場合もあります。
新型うつ病に治療は不要だとか、ただの怠けものだという精神科医のセンスやモラルを疑います。だいたい、はやりの用語を使う精神科医は怪しいものだと思ってください。
うつ病に励ましの必要な時
基本的にはうつ病には励ましは禁物といわれてきました。しかし、欧米ではそんなことはひとつも言われないし書かれてもいない。日本だけの経験則です。ただ、これは日本ではなぜか本当に本質的に重要な療養指示であることは臨床経験からも明らかです。もちろん、私も、この「うつ病患者は励ましてはいけない。」ということに基本的には賛成です。特に、従来型うつ病の病状が悪い時には絶対にいけません。ただ、例外的な状況はあります。1.十分に回復し、社会復帰にためらいがあるとき2.適応障害(あるいは新型うつ病など)の軽度抑うつ状態で、気晴らしが休養になると判断される場合3.抑うつ性のパーソナリティー障害の関与が著しい時などです。
しかし、本人が嫌がっている場合に無理強いは決していけません。また、励ましたほうがいい段階に入っているかは、熟練した精神科医の判断がなければ無理です。ですから、読者の皆様は、やはり基本に忠実に、「励まし、気晴らしは禁物」と思っていてください。ただし、医師が「頑張ってくださいよ。」と言ったからとしても驚かないでください。薬物療法の進歩のみならず、精神療法でも、適切な言葉かけ・そのタイミングなど、療法がより具体的な変化を遂げています。

適応障害のケース
 会社に今春大学を卒業し入社したA子さんは、もちろん初めての仕事ですからいろいろミスをおかし、先輩社員から厳しく叱責されることが数度ありました。接客態度、電話の対応、言葉づかい、そして書類の製作ミスなどで、とくに女性の上司や先輩から人格を否定するような叱責や「あなた向いていないんじゃない。辞めたら。」などの非難を受けました。次第に、抑うつ気分、不眠、頭痛、食欲不振、緊張と集中力の低下のためのさらなるミスなどが現れ、ついに出社しようとすると不安が高まり会社にゆけなくなり、自宅でリストカットしたため受診されました。抑うつ尺度を用いた心理テストでも中等度の抑うつ状態レベルの得点が出ました。症状は、会社が休みの日にはましになり、薬物療法を開始し、診断書を書いて会社を休ませたところ、すぐに何の症状もなくなりました。数か月の休養、治療で元気を取り戻したため、本人と家族の希望で海外旅行にも行き、十分、旅行を満喫して帰ってきました。
そろそろ、会社に復帰していいですかと本人から問われたので、「あなたがその気になれたのなら問題ありません。」といい復職可の診断書を書きました。ところが、それを提出しに行くために電話をしようとしたら、やはり、不安で眠れなくなったとのことでした。会社の上司の方と、本人、家族を交えて話し合いをし、トライアル出社から始める社会復帰プログラムを作成してもらいました。中には、調子が悪ければいつ帰ってもいいこと、やや合わない先輩とは別の部署に異動させてもらうことなどを盛り込んでもらいました。その結果、約1ヶ月後に出社できるようになり、その後も薬を飲みながら、だんだんとスムーズに会社にゆけるようになりました。
 このケースでは、会社あるいは特定の先輩、上司というストレス源から離れると、うつ病症状は消失しますから、従来型うつ病ではなく、適応障害です。治療は、薬物療法とストレス源からの分離、しばらくの休養、さらに社会復帰のためのプログラム作りということで治療が成功しました。産業衛生の世界でメンタルヘルス(特にうつ病)が脚光を浴びていることにより、ストレス源からの分離が容易だったこと、抗うつ剤への反応がよかったことなどが治癒を促進した因子であると考えられます。もちろん、トライアル出社の段階になった時、「頑張ってね。」とも言いましたが。

(本文は、養徳社刊「陽気」に平成17年1月から平成18年12月まで連載された「こころの窓」に加筆、修正をしたものである。)

2014-08-11 17:10:32

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第三回目 うつ病を照らす -なぜなるのか-

●うつ病の有病率
 うつ病は男性で5~12%、女性で10~25%生涯発症率があるといわれています。きわめて「よくある病気」です。みなさんは、心療内科・精神科なんて自分は一生関係ないとたぶん思われているかもしれませんが、睡眠障害や、不安障害などいろいろな精神科疾患がきわめて高率に発症するため、心療内科・精神科をほとんどのひとは障害に一度は受診すると思います。心療内科・精神科にかかるということをためらわないでください。ためらうと、うつ病の場合、自殺などのとりかえしのつかないことになってしまいます。
 うつ病のもうひとつの特徴は、女性に多いということです。医学の常識ですが、じつは、女性にしかない器官の病気をのぞいて、女性のほうが多い病気というのは非常に少ないのです。その証拠に、女性のほうが長生きですし、出生率の男女比というのも面白いことに、女100:男105と男の子が多く生まれます。しかし、成人になるころにはこの比は1:1になります。それだけ、男の子の方が乳幼児死亡率が高かったのです。女性にうつ病が多いという特殊な状況をなかなかきちんと説明はできないのですが、仮説として、女性ホルモンが関与しているという説、出産に伴う産後うつやマタニティーブルーの問題、女性特有の心理的ストレスの関与などがあげられています。
 また、1950年ころにはうつ病は20代と50代ころに発症の山が認められましたが、現在では、年齢が高くなるとともにうつ病の罹患率も上がり、老年期の病気として重要視されるようになってきました。

●うつ病の成因
1.病前性格
うつ病になりやすい性格を病前性格といいます。うつ病ほど、病前性格についていろいろ議論された病気も少ないでしょう。現在でも多くの精神科医はうつ病の病前性格について、根拠ないまま信じ込んでいます。すなわち、几帳面、真面目、熱心で、対人的に円滑な関係を望み争わない、変化に対する順応性が低いなどの性格傾向です。
 しかし、現在の精神医学のたどりついた、科学的結論は、うつ病になりやすい性格はないということです。裏返して言えば、どんな人でもうつ病になりうるということです。
 かりに、うつ病になりやすい性格が明らかになったとしても、性格を変えることはほぼ不可能ですから意味がありません。さらに、従来、うつ病になりやすいとされてきた「几帳面、真面目、熱心、円滑な対人関係」などの性格は、人間として模範的な性格ではないでしょうか。みなさんは、このような性格になるように努力し、子どもにもこのような人間になるように教育しないでしょうか。
私も精神科医になりたてのころは、そこらへんのところがわからず、患者さんに「あなたはもっとずぼらになったほうがいい」などといっていました。しかし、社会や自分自身が「かくあるべき」と信じて、ある意味自身さえ抱いている性格を悪者扱いしてしまうのは、うつ病の患者さんの自責間や自信喪失をさらに刺激、悪化させることになり、よい結果に結びつかないのです。したがって、きちんとトレーニングを受けた精神療法家以外は、うつ病の人の性格についてあれこれと「アドバイス」や「指導」はするべきではないでしょう。

2.状況因
 うつ病になりやすい状況というのは、かなり明らかになってきています。状況というのは環境やストレスも含む概念だととらえてください。環境やストレスがうつ病の発症に関係しているという科学的証拠はあります。しかし、はっきりしているのは、未婚、離婚、親や配偶者の死、失業そして都会より郡部という因子だけです。はっきり否定されているのは、性格と経済状態です。都会より郡部に多いというのは面白い結果で「現代社会が生み出すストレスがうつ病を増加させている」というような論調はなりたちません。しかし、WHOの統計によればアジアは欧米に比べてうつ病が少ないということになっていたのですが、ごく最近中国の研究者によって、アジアでもうつ病が増えているといわれています。また、直接の関係はないにしろここ数年わが国での自殺者の増加は異常なことです。
科学的証拠はありませんが今までによくいわれてきた発症状況は、昇進、配置転換、転勤、新たな達成課題、試験、病気、負傷、居住環境の変化(転居、改装、新築)などです。一見、昇進や新築などおめでたいことのように思われますが、責任が大きくなったり、多額のローンをかかえることになるなどストレス因としては結構大きなものでもあります。状況因は、病前性格とは違い、変えることのできることもありますから、いろいろと工夫してみる余地はあります。うつ病の患者さんへのもっとも簡単な援助は、このような状況因を、除くことです。除くのが困難な場合もありますから、そのようなときには、一定期間そのような状況から離してやる(入院はその一つの手段)、あるいは代替的状況に移してみる(職場での配置転換)ことが、すぐにだれでもできる援助です。

3.生物学的因子
 遺伝子研究はいままでのところ、うつ病について決定的な成果をもたらしていません。ヒトゲノムが2003年4月にすべて明らかになって、研究者の見解は単一遺伝子にこの病気を帰着できないという結論です。多因子遺伝も現在の方法論では限界があり、むしろ、「がらくた遺伝子」とよばれてきたたんぱく質を作り出さない部分のDNAや、たんぱく質の発現をコントロールしているエピジェネティック(DNAによらないたんぱく質発現コントロール様式)な領域に、第一線の研究者の目は注がれているようです。
 昔からあるうつ病の病因仮説は、モノアミン枯渇説です。レゼルピン(降圧剤の一種。今ではあまり使われない)で神経末端からモノアミンが出ない状態にしてやると高率にうつ病を発症します。なかでも、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンの関与が注目されており、そのため抗うつ薬はふるいタイプの三環系抗うつ薬でも21世紀の抗うつ薬のSSRI,SNRIでも前2者をシナプスで増やす働きを持っています。


●一口メモ
 うつ病といえば正確には前回説明した、米国精神医学会の言う「大うつ病エピソード」を指しますが、よく「うつ病と抑うつ状態はどう違うの」と聞かれます。抑うつ状態は、うつ病のひとつの部分症状です。ですから、ほかの疾患でも抑うつ状態にはなります。また、うつ病近縁の疾患として、最近の分類に従うといろいろなものがあります。たとえば、適応障害(なんらかのストレス因によって抑うつ状態を示すがうつ病の診断基準は満たさないもの)、気分変調性障害(軽症の抑うつ状態が慢性的に経過するもの)、双極性障害(かつての躁うつ病。単極性とは異なる疾患と現在では考えられている)、気分循環性障害(軽症の躁状態やうつ状態を繰り返す)などです。最近のきちんとした知識を持っている精神科医はこのように分類するので、なかなか「うつ病です」とは断言しませんが、「うつですなあ」とはいいます。患者さんが混乱しても当然です。わからない場合はきちんとした診断名を医師に尋ねてください。

ケースAさん 50代 男性
 Aさんは、仕事一途なタイプで、毎日遅くまで仕事に没頭し、それで業績が上がることに非常な満足を覚えていました。趣味は仕事というくらいで、休日も家で仕事の準備やプランをたてていました。そうした努力が認められ、会社で責任のある立場に昇進しました。ところが、昇進を契機に、実務を離れてしまい、管理的業務が増えました。部下をまとめたり、上層部に新しい企画の予算折衝に行ったり、取引先とのつきあいが増えたり、今までとまったく違うストレスを味わうようになりました。「実務に戻りたい。」と妻には、昇進後からもらしていました。さらに、景気の悪化から、会社の業績も上がらなくなったため、厳しく売り上げや、納期について迫られる様になり、昇進するまではむしろ楽しんでしていた残業や休日出勤が、だんだんと重荷に思えてきました。ある取引先が、他社と取引きすることになり、それもまた自分のせいではないかと思うようになり、このころから会社に行くのが億劫になってきました。夜も全然眠れません。好きだった、テレビでプロ野球を見ることもしなくなり、ついに会社を休み、家族がいなくなるのを待って、ズボンを鴨居に結び、首をつりました。たまたま、長男が、忘れ物をして家に帰り、その状態をみつけ、すぐに救急車を呼んで一命を取り留めました。救命処置後、精神科病院に医療保護入院となり、抗うつ剤を投与され、一か月で退院でき、その後は外来に定期的に通い安定しています。会社にも、配置を転換してもらうことで復職できました。Aさんがここまで治ったのは、1.生真面目な性格なのできちんと服薬を続け、通院していること2.職場の復職に対する理解が得られたこと3.退院後は、趣味で囲碁を習い始めたことで、碁会所仲間という仕事以外の人間関係が築けたこと4.家族の温かい見守りが得られたこと、などによるでしょう。このように、重症のうつ病でも医師の指示を守り、家族、職場の理解が得られれば、うつ病は克服できる時代になりました。

(本文は、養徳社刊「陽気」に平成17年1月から平成18年12月まで連載された「こころの窓」に加筆、修正をしたものである。)

2014-08-11 17:01:33

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第二回目 うつ病を照らす

●うつ病はこころの風邪か
ちかごろ、ある製薬メーカーが「うつ病はこころの風邪です」といって、心療内科への行きにくさを解消するよう努力してくれました。これは、うつ病は誰でもなりうる、ありふれた病気で、きちんと治療すれば治りますよという点を強調してくれていて、心療内科医としてはありがたい反面、実は、やりにくくもなっているのです。私は「うつ病はこころの糖尿病である」などというほうが正しいと考えます。というのは、うつ病は、風邪と違い、長年付き合わなければいけない慢性疾患だからです。しかし、薬を飲みさえすれば、症状は数ヶ月で消失し、また正常な社会生活を営めます。治ると言うことと、薬を飲まないでもいいということはまったく違います。それは糖尿病や高血圧の患者さんが、薬を飲みさえすれば、「治る」のと同じことです。

●うつ病とは
よく、最近うつ病が増えていませんかという質問をうけます。しかし、これは、なかなかの難問です。なぜなら、うつ病の定義というのが今迄きちんとされておらず、いろいろな状態を「うつ病」といっていました。従来からのうつ病の診断は、原因によって分類されることが多く、たとえば、明らかな原因がみあたらず発症するうつ病を内因性うつ病、死別体験などが通常より強く長引く反応を反応性うつ病、葛藤を生む体験が抑うつ症状を引き起こす抑うつ神経症などと使い分け、診断する医者の判断で、すべてをうつ病といったり、内因性(かつては原因が特定できないという意味だったが、現在では遺伝素因と環境因の複合要因と考えられる)のものだけをうつ病といったりしていました。

●現在のうつ病の定義
現在、科学的根拠に基づいた治療を行おうとしている心療内科医、精神科医であれば、うつ病の診断基準は、米国精紳医学会のものを用いるのが一般的です。 表1のような状態が2週間以上続くことをうつ病あるいは大うつ病エピソードと呼んでいます。つまり、原因の如何を問わず、この表の項目にあてはまればうつ病とされるわけです。このような、診断方法を操作的診断と呼んでいます。操作的診断は、提案された当初、多くの精神科医、心療内科医から「こんなことで診察できるなら、精神科医はいらない。コンピューターに任せればいいだろう。」などという皮肉を言われましたが、今日では、すべてのうつ病に関する医学論文はこれに基づいて書かれるほどに全世界の精神科医に浸透しています。というのは、前節に書いたとおり、今までのようなやりかたでは、同じ「うつ病」の話をしようにも、医者によって考えていることが違っていて、議論がかみ合わなかったり、患者さんに説明するのに、ある医者はうつ病だというが、他で診てもらったらなんともないといわれたなどの弊害が大きかったからです。操作的診断法を取り入れることにより、どのような治療法が効果があるのかも、科学的に論じうるようになりました。つまり、経験より科学性を精神医学でも重視するようになったのです。
しかし、だからといって、経験のある医者がコンピューターに取って代わられるわけではありません。なぜなら、ひとつひとつの項目(例えば、抑うつ気分)に、はたして目の前の患者さんがあてはまるかどうかは、やはり経験を積んだ精神科医にしか判断できないからです。

(1)抑うつ気分
これは、気分が沈みこむこと、憂うつで、悲しく、希望のない、落ち込んだ状態です。「わけもないのに涙が止まらない」と表現される患者さんもいます。患者さんの訴えはもちろんのこと、その表情、外見からも気分が沈みこんでいる様子はわかります。図1のデューラーの銅版画はそのような様子をよく表しています。しかし、身体症状(全身倦怠感、肩こり、食欲不振など)を強く訴える患者さんでは、抑うつ気分があまり本人の訴えとして強く出てこないため、本人も医師も身体疾患と間違えやすいことがあります。これを、身体症状で抑うつ気分がmask(隠す)されるため、仮面(masked)うつ病ということがありますが、今日ではあまり使われない言葉になっています。

(2)興味または喜びの喪失
これは、それまで好きだった、趣味や娯楽にまったく興味を示さなくなることです。ある患者さんは、ゴルフが好きで毎週末行っていましたが、うつ病になってからまったく行けなくなりました。あるいは、テレビや雑誌すら見るのもしんどくなります。これが原因で「引きこもり」になる人もいます。性欲も衰えるため、結婚されている場合、離婚の危機に瀕することすらあります。

(3)食欲の減退あるいは増加、体重の減少あるいは増加
通常は減退します。

(4)不眠あるいは睡眠過多
通常は不眠になりますが、昼間意欲のなさから寝っぱなしになることもあります。また、不眠は、うつの前駆症状とも言われ、眠れなくなったらとにかく受診をお勧めします。

(5)精神運動性の焦燥または制止(沈滞)
通常は、考えが進まないようになり、口数も減ります。うまく人前で話ができないようになったと表現される方もいらっしゃいます。ときに、いらいらが一番の悩みになる人もいます。

(6)易疲労感または気力の減退
疲れやすく、全身倦怠感(からだのだるさ、しんどさ)を感じます。睡眠障害ともあいまって、体調不良になり、仕事はおろか、洗顔、着替えさえするのが疎ましく感じられます。

(7)無価値感または過剰(不適切)な罪責感
自己評価が低くなり、なんでも自分が悪い、自分のせいでまわりに迷惑をかけていると思い出します。時には、妄想ともいえるような考えにまでいたり、入院しましょうと勧めても「家にはそんなお金はありませんから無理です。」などと現実的でなくなります。

(8)思考力や集中力の減退または決断困難
集中力が持続しないため、仕事などまったくできなくなります。にもかかわらず、責任感が強いのと決断ができないので、仕事を休むことが出来ません。

(9)死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図
これが、うつ病で一番問題の症状です。1から8までの症状で、自分は生きている資格がない、生きていてもまわりに迷惑をかけるだけだから死んでしまおうと本気で思ってしまいます。この症状が強ければ、即刻入院が必要です。自殺者の数10%はうつ病であると考えられています。

次回は、うつ病の原因、かかわりあいかた、治療法について書きます。

(本文は、養徳社刊「陽気」に平成17年1月から平成18年12月まで連載された「こころの窓」に加筆、修正をしたものである。)

2014-08-11 16:58:31

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大うつ病エピソードの診断基準(米国精神医学会)

以下の症状のうち、少なくとも1つがある。・抑うつ気分
・興味または喜びの喪失

さらに、以下の症状を併せて、合計で5つ(またはそれ以上)が認められる。

・食欲の減退あるいは増加、体重の減少あるいは増加
・不眠あるいは睡眠過多
・精神運動性の焦燥または制止(沈滞)
・易疲労感または気力の減退
・無価値感または過剰(不適切)な罪責感
・思考力や集中力の減退または決断困難
・死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図

2014-08-11 16:53:50

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第一回目 うつ病を照らす

●こころには窓があるか

 今月から精神疾患について、いろいろな角度から考えて、皆さんがなるべくわかりやすいように精神疾患を解説してゆきます。17-18世紀のドイツの科学思想家ライプニッツは「モナド」という物質や魂を構成する極限の要素には「窓がない」といいました。この言葉の真意については、いまだに議論の的で、諸説があります。しかし、純粋に物理学的にいえば、たとえば、2004年のノーベル物理学賞を受賞した理論であるクォークの話に極めて近いと私は考えます。物質を構成する単位である原子の核は、中性子、陽子から構成されますが、それらはまた、3個のクォークからなりたっています。現在、物理学で物質の最小構成単位はクォークであるということになっていますが、これを一個だけ中性子や陽子から取り出すことができません。それは、クォーク間に「強い力」という力が働いているからです。

 ある意味で、モナドを原子にたとえると、クォークを取り出しようがないということが、「モナドには窓がない」という言葉のひとつの解釈になるかもしれません。

 さて、こころには窓があるでしょうか。こころはその構成単位のようなものがあり、それを取り出してみることは可能でしょうか。こころというのは、複雑で、わかっていることが少し、大部分はわかっていません。しかし、人間というのはなにごとによらず原因がわからないと不安になります。以前、息子が小学生だった頃に「人間はなんのために生きているの?死ぬため?それじゃあ生きていても意味ないやん。」と無邪気に質問され、返答に窮しました(余談ながら、この子はとくに問題なく発達し、元気に暮らしていますが)。このような質問は「なぜなになにするのか」という文法的には一見正当な質問文として成り立つのですが、内容として質問としてふさわしくないものです。ところが、多くの高名な学者が真剣にこのような不適当疑問に、哲学、宗教、生物学などありとあらゆる立場から答えようとしてきました。そのような答えは一面的か適当かのどちらかです。ただ、そうなるのは仕方がないことで、質問を真正面から受け止めてしまった、ある意味善良な学者の良心から生じてしまうのです。今回の連載では、こころの問題、とくに私は精神科医ですから精神疾患に焦点を当てて、わかっていることと、わかっていないことをわかりやすく解説してゆき、こころの窓を開いてみたいと思います。(本当は、ライプニッツなら窓がなくても、こころとこころはわかりあえるというはずなんですが…。)


●精神科という壁

 こころの病気かもしれないと自分で思ったり、他の人から忠告されたとき、「せーしんか」に行こうと決断できますか。できたらあなたは、精神科についてあるいは精神疾患について、正しい認識を持っているのでこの章はとばしても結構です。しかし、たいていの人はできるなら、精神科には行きたくないと思うでしょう。理由はいろいろあるかもしれません。「自分は精神病ではないとおもうから」「こころの問題はあるけれどカウンセリングで治る、あるいは治そうと思うから」「そんなところ行ったら近所から変な目で見られるから」「精神科なんかにかかったことが知れると、会社をくびになる、結婚できなくなる」「精神科でなく、心療内科か神経内科でなおしてもらいたいから(一口メモ参照)」それぞれごもっともな理由ですが、こころの問題を扱うのは医療機関では精神科のみです。自分のこころの中にある精神科に対する偏見をまず取り除かねば問題はまったく解決しません。

 偏見や差別は精神疾患にはつきものです。ほとんどの人は精神病患者が危険であるとか治らないと思っています。京大病院の精神科は本院と道を一本隔てた西部構内にあります。私が入局したころは、他科に比べて非常に広い敷地に、平屋の病舎が庭の中に点在し、とても優雅でゆとりのある造りだなと感じていました。しかし、西部構内にあったのは、他には皮膚病特別研究所というハンセン病の施設と、胸部結核研究所という結核のための施設でした。明治40年代の京大病院創設時から、医者の常識としても、このような疾患は他の一般患者と分けなければならないという偏見があったのです。結核、ハンセン病に関しては、好酸菌という、同じ仲間の感染力の弱い細菌によって引き起こされる感染症であることがわかり、抗生物質の出現により、ほとんどわれわれの世代では偏見がなくなりました。しかし、最後の難関、精神病についてはいまだに医療関係者からも誤解をうけています。精神科にかかったことがあるだけで、一般病院の入院を断られたり、十分な治療を受けられなかったりすることが、悲しいことに今でもあります。おそらく、精神病は治らず、危険だという偏見を医者も持っていると思います。しかし、この連載で述べてゆきますが、精神病は、1950年代に治療薬が開発され、21世紀の今日では、きわめて治療成績が上がってきています。もう治らないとは言わせません。また、精神障害者の犯罪率は、実際、健常者のそれよりも低いことがかなり前から知られていました。それなのに、マスコミは、精神障害者が犯罪を犯すとこんなに危険だぞとばかりに、この犯人には精神科に通院歴があったという情報をかならず公表します。私は、これは、人権侵害であると思います。たまたま、障害者も犯罪を犯すこともあるでしょうが、知的障害や身体障害があっても、マスコミは大騒ぎしないでしょう。それをもって危険だというなら、犯罪は30代から40代の男性に多いからといって、働き盛りの男の人を世間は差別するでしょうか。
 このように、今日では、精神疾患に対する理解啓蒙を深めて、精神科という壁をとりはらってもらえば、皆さんの健康は、身体的のみならず、精神的にも万全に守られるでしょう。
次回はうつ病がどのような病気か、具体的に説明します。


●一口メモ

精神科、神経内科、心療内科の違い
精神疾患の患者さんが、しばしば精神科に行きたくない、心療内科で治してほしいなどといわれ、困惑することがあります。原因は、皆さんにその違いがよく理解してもらえていないからでしょう。精神疾患はすべて精神科でしか治せません。うつ病、統合失調症、パニック障害等等です。心療内科はストレスが原因で生じてくる身体症状を扱います。つまり、こころの問題が体にあらわれた人を診る科です。神経内科は神経という実態のある組織の病変を扱います。中枢神経も末梢神経も診ます。脳梗塞やパーキンソン病などです。つまり、精神科(現在は標榜できなくなりましたが、昔で言う神経科)だけがこころの病気を扱い、他は体を扱います。もちろん、摂食障害、認知症、てんかんなどは境界領域で複数の科で診ることもあります。厳密にはこういうことなのですが、私を含め精神科の医師が開業するとき、「何々精神科」という名称では患者さんが来にくいために、神経内科とか心療内科といって開業している場合があるので、その医療機関の名称からは実際なにが専門なのかはわからないという複雑な裏事情もあります。

先日、遠くに住んでいる知人から電話で子どもさんのこころの不調について尋ねられ、精神疾患であるから精神科で相談した方がよいと思いつつ、専門機関で相談した方がよいとお茶を濁してしまいました。結局、近くの心療内科を標榜している精神科医のところで治療を受け、子どもさんは元気になられたそうです。「終わりよければ全てよし」ですね。

(本文は、養徳社刊「陽気」に平成17年1月から平成18年12月まで連載された「こころの窓」に加筆、修正をしたものである。)

2014-08-11 16:52:46

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著者プロフィール

北海道札幌市に生まれ育つ。
北海道人としてのアイデンティティを持っている。
ツキノワグマは怖くないと思っている。
自然が好き。

飛行機のパイロットになりたかったが、高校のとき自然気胸をし、夢を閉ざされ、医師になろうと方針転換したが、数学が苦手で困った。克服するために、朝学校へ行く前に、一題難問を覚えて、学校につくまでに、頭の中だけでその問題を解くという荒行をする。その成果か、偶然か志望校に合格できた。努力は報われると信じている。しかし、大手航空会社の経営危機の話が問題化してきて、人生万事塞翁が馬だなとこのごろ実感する。勉強するとお腹がすくのは何故だろうと真剣に考え、その時脳はどう活動しているのか知りたくて、今で言う認知科学を目指し、精神科医になる。

医者と言うのは基本的には「医局人事」ということがあり経歴欄にあるような病院にあちこち行く。転勤は大変だが、いろんな特色のある病院で働き、とても多くの得るものがあり、それが今も自分の血となり肉となっていると思う。阪神大震災のとき、ボランティアで神戸に行き、それがきっかけでPTSDの研究を主にする。フランスに留学し、付和雷同しない個人主義の真髄を学んだが、最近ようやく、日本以外の国ではそれが世界標準と言うことに気づき愕然とした。子どもが虫好きだったので、生態系や生物分類学に詳しくなってしまった。暇ができたら「さわっていい虫、悪い虫」といったテーマで、子どもと野山を駆け巡ったときに、一番必要だったけれど出版されたことがない本を書きたい。

基本的に、精神科医は忙しければ、忙しいほど座りっぱなしになるので、体を動かすのが好き。現在、マラソン、水泳、自転車に凝っているが、三つつなげてしたことはないので、バライアスロンと勝手に言っている。スキーはかなりうまいが、行く暇がない。もともと、文学青年なので、読書は好きだが、医学関係の活字を読まなければならないため、ほとんど読めない。さらに、開業して運動する機会が減ってきたので、毎日、自転車か走って通勤しようと思っている。荷物の中には、かならず水着を入れているのだが…。この、運動不足から肥満への悩みを解決すべく、ファスティングでも企画しようと思うが、また時間がなくなるとのジレンマで模索中。

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